「20代を無難に生きるな」著:永松茂久

4.5
読書

 今日は、永松茂久氏著、「20代を無難に生きるな」という本の紹介をしたいと思います。

カフェで一気読みしました

概要

 全部で213ページの本で、集中すれば2時間くらいで読めます。そのくらいぐっと引き込んでくる本です。とても良い本だったので、皆さんお読みいただくことをお勧めしますが、今回は特に印象的だった章をかいつまんでご紹介いたします。

 本著では、20代を「人生の基礎を作る」期間と題し、自分の芯、つまり揺るがぬ価値観を育てるべきであるとしています。小手先のテクニックではなく、一生涯通して自分自身のよりどころとなる芯を育てていくという話です。

 周りの様子をうかがってから手を上げ、周りに流され、文字通り「無難」に傷つかずに生きていくのが「上手」な生き方と思われているが、そうではないのです。「大衆はつねに間違う」これは1950年代にアメリカで大活躍ラジオスピーカー兼作家であるアール・ナイチンゲールの言葉ですが、常識とは、大衆が自分たちの意見を肯定するために生み出した便利な言葉なのです。常に、自分の頭で考えて行動していこう。

 著者は繰り返し述べます。自分の芯を育てなさい、自分のルールを決めなさい。流されて生きるな。

 さっそく、ぐいっと引き込まれる感じがしますよね。では、中身に入っていきましょう。

サラリーマンを馬鹿にするな

 若くして大成功して大金を手にする人が、しばしば労働者一般を見下す様子が散見されますよね。著者はそれを強く非難しています。

引用~

「一度きりの人生、「会社の奴隷で終わるなんてありえない」
「小さい家のローンを35年もかけて返すだけの人生なんてイヤだ」
そんな記事を見るたびに「ふざけんなよ、ばかやろう」と言いたくなる。
願わくは、あなたにはこんなわかったふうな言葉を使う20代にだけはなってほしくない。

 この強い主張の裏には、戦後復興期を支えた、名もなき戦士たち(サラリーマン)の土台に生きている我々は、彼らの苦労の結晶や恩恵を享受する立場であることを忘れてはならないという思いが込められています。最終章に、知覧に行け!と繰り返し述べているのですが、その部分ともつながってくるのだと思います。

やりたいことに最短でたどり着く方法 

 早速残念なお知らせです。「20代のころは、やりたいことはほとんどできないと心得る。」

え?!思ってたのと違う。もっと優しく夢のある話だと思った。あきらめずにもう少し読んでください。

引用~

「やりたいことをやろう」この言葉が大流行だ。
これは、裏を返せば、
「やりたくないことはやるな」
ということだ。
(中略)
いきなりやりたいことばかりをやらせてくれる会社なんてあるだろうか?

ええええええええええええ今どきの「好きなことで稼ぐ」的なノリと逆やんって突っ込みが入ると思います。その通りなのですが、じつはこれが「やりたいこと」にたどり着く最短経路なのだと著者は言います。

引用~

実績をひとつずつ積み重ねていくことによって、会社はあなたに優しくなる。残念ながらそんなものだ。
理不尽(中略)を現実として受け入れ、逃げなかった人は、同世代と比べても確実に一皮むける。これもずっと変わらない真実だ。
(中略)
いやなことから逃げても、それは一時しのぎ。そこで得た「ラクさ」はいつか自分に牙を剥いて噛み付いてくる。

 でも確かに、最近はやりの楽なほうへ楽なほうへというムーブメントは、耳障りは良いが無責任なんですよね。本人の人生を考えたら、必ずしも良いアドバイスとは言えないですよね。どんなに「頑張らなくて良いよ」って言っても、飯を食っていくのは当の本人なんですからね。

 著者は、寝る間も惜しんで何かに没頭した経験のある人を、「一流のメンタリティ」と称しています。浸食忘れて没頭できる時点で才能なんですね。また、とにかく場数をこなすようにとも書いてあります。20代は、自分から仕事を取りに行って、同期よりできるだけたくさんの経験をして、経験値を高め、自分の芯を形成していく大切な時期ってことですね。

読書は「量」より「質」 

 143ページ以降で特に推したいのが

引用~

「100冊読んで何もしないくらいなら、10冊を徹底的に使いこなすほうが成長する。」

というフレーズです。

ビビッときました。以下のように続きます。

引用~

その人の本棚を見れば、どれくらい成功できるかがわかる。それは本棚にどれだけの数ぼろぼろになった本があるかどうかだ。
(中略)
多読ではなく、重読。
つまり同じ本を繰り返し読むようになった。
(中略)
「一流の人はたくさんの情報を持っている」とよく言われるが、これはあまり正しい答えとは言えない。
「一流の人は、自分に合った情報を絞り込んで使いこなす」
というのが現実だ。
そんなにたくさんの情報ばかり詰め込んでも、迷うだけだと知っているのだ。

 これも自分の「芯」を形成することを目的としているのだと思います。あっちこっちと手広く情報を得るのではなく、自分の「芯」を養うために、必要な情報を密度高く、濃度高く、しっかりと丁寧にインストールしていくというイメージなのでしょう。

 ちなみに、私は新田次郎著の「八甲田山死の彷徨」という本を一時期繰り返し読んでいました。八甲田山といえば猛吹雪の中、行軍して最後若かりし日の北大路欣也が「天は、我々を見放した」と叫んで舌を噛み切るシーンが有名ですが、問題は「天」ではなく、旧日本陸軍という「組織」にあることが、読めば読むほどわかる悲しい内容になっています。天災ではなく、完全なる人災だったということです。繰り返し読むことで、着眼するポイントも変わってきますし、さらに読み込むことである程度自分の「読み方」が定まってきます。これは、あくまで私の持論です。

人生は「成功期」と「成長期」しかない

 これは、見ただけで救われるという方も少なくないのではないでしょうか。

この章の中で特に押したい部分を引用します。

引用~

▼失敗のおかげで、大切なことを知ることができる
(中略)
「あのな、人生って波がある。みんなバイオリズムがあるんだよ。いいときが山で、悪いときが谷な」
「わかります」
「ここを『いい』『悪い』って考えるから行き詰まるんだよ。あのな、いいときは『成功期』、悪いときは『成長期』なんだよ」
(中略)
「こう考えたら、人生っていい時期しかないんだよ」

 これは、正直衝撃でしたね。私このところ、まったく何もかも最悪で、ふさぎ込む勢いでしたから。雪解けを待っているフキノトウのように、冬眠から目覚めるのを待っている動物たちのように。英気を養っている時期ということなのですね。

 人って、いつも「見かけ上」うまくいっていないと気が済まないところがありますが、「見かけ」って全然気にしなくてよいのかもしれません。だって、「見かけ」ってのは、あくまで他者視点であって、著者の言う「自分の芯」ではないですからね。

知覧に行け

  著者は本著の中で、鹿児島県の知覧という、77年前(今日はちょうど8月15日ですね)、大変用戦争末期に特攻隊が数多く飛んで行った場所に、一度訪れるよう勧めている。

 著者にとって知覧の地は、「生きる」ということを教えてくれる土地となったそうです。当時の若者が、どのような思いで特攻していったのか、未来の日本のために命を賭していったのか、思いをはせることで、自分の人生を見つめなおす契機となると述べています。

 著者は

引用~

自分の人生が終わるとき、何を残すか、何が残せるかを考える時間を、年に一度、ほんの少しの時間でもいいから作ってほしいのだ。
それだけで、生きる姿勢が変わってくる。
私自身、行くたびにあることに気づく。
それは、自分はいつか死ぬんだということ。
つまり「人生は有限である」ということだ。

ほんとうに、その通りなのですが、どうしても頭でわかっても心でわからないのが現状ではないでしょうか。きっと、知覧に足を運べば、「心で」いや「魂で」わかるようになるのかもしれません。

今を生きる20代、目先のことだけでなく、自分の人生が確実に毎秒毎秒リミットへと近づいていることをかみしめて、今何をすべきか、改めて問う必要があるなと思いました。

まとめ

 我ながらちょっと長めのブログになりましたが、本著はかなり読み応えのある割に、読みやすい文体で書かれているので、どなたでもとっつきやすいかと思います。まだまだ魅力を紹介しきれていないので、ぜひお手に取ってみてください。

 本著でも触れていましたが、若いとどうしても同年代だけの文脈の中で生きてしまいがちですが、社会を見渡すと、もっともっとたくさんの世代がいますよね。若者同士で通じるか、うまく生きられるかではなく、広い社会の中で生き抜いていけるかに軸を置いて生きていきたいものです。

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